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岐阜の神無月には伊吹山の神様も出雲へ行くのかな。神様の顔合わせなんだから、コロポックルさんも行くかもしれないし、竈の神様やかわやの神様も行くかもしれない。

伊吹山の神様は自然の象徴だから、もぐさはとってもよく効くらしい。でも、日本武尊を呪い殺しちゃったのだし。(おなかすいてたんだろうな、戦いばっかりで。おいしそうないのししが出てきたら食べたくなるもんです。伊吹山の神様はいのししに化けます)

知らない土地に行くなら気をつけなさいということと、自然をなめたらいけんよ、という教訓だな。

神様といっても成り立ちが違うから、別にどうでもいいのかもしれない。

出雲には行ったことがないけど伊吹山の脅威には秋からはるまでさらされっぱなし。御来光も厳しい登山の末見ることができる。(富士山には負けるが)個人的には近いところの神様が怖い。なんてったって自然をつかさどるんだから。

どうでもいいが、伊吹山の神様は男の神様か女の神様か?ああ、ばちをあてないで!
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言葉にいれてもいい話題だが、わたしの父方のいとこ(母方にいとこはいない)は、おじのことを「おいちゃん」と言う。おじちゃんでも、おっちゃんでもなく。

ある盆、大人たちは飲んでいたが酒の飲めない私はボーっと座っていた。妹は小さいいとこと遊んでいたし、私と同じ年くらいのいとこは酒の座にいた。

伯父が「おいゆう、裏からビールに三本とってこい」裏には井戸水か水道水か、とにかく冷蔵庫で冷やすより冷たくなる水があってそこにビールがいやというほどあったのでとってきた。

このとき父のこめかみにわずかにすじがでた。怒っている、私にではない、兄である伯父にである。自分の子どもが飲んでいるのだから、彼らに取りに行かせればよい、年齢も一緒だし。泥酔しているわけでもないし。でも兄であるから黙っている。私には明らかにそう見える顔だった。が、伯父は鈍感なのかなんなのか何度もそういって私は小間使いにする。私も飲みもしないビールを運んでるだけってのは嫌だが、父がものすごい険悪な顔でさっきから手酌で飲んでいる。爆発寸前なのだ。

その次に伯父がそういったとき、父はついに爆発した。

「もってこんでもええっ!」「もってこい(伯父)」困るのは板ばさみの私である。ひざ立ちのままフリーズ。

そこへ救世主が登場。父の年子の叔父である、実質この家を継いだ人だ。

「ゆうちゃん、おいちゃんがもってきたる、もってきたるで」と適当な数の(私は手に一本ずつしかもてないので二本ずつ持ってきていた)ビールを持ってきた。

父は不興なのだが、弟がとりなしてくれたのでこのことは終わり、と言うことにしたらしい。伯父はもともと酒さえ来ればいいのである。

さて末の叔父は何をしていたか。この人は若いときに心筋梗塞で死線をさまよって以来、酒もタバコもしない。

いるのか?と言うような静かなたたずまいでコーラを手酌で飲んでいた。

ちなみに父は機械工場の工員、とりなしたほうの叔父は紡績工員(何でも労働組合の委員長であったらしい)、伯父はたぶん事務職だがよくわからない。末の伯父はデパートの外商(つまり取引先との営業)

職業柄もよく見える。父は男だらけ、しかも少ない数の工場で手荒い仕事をしている。叔父は紡績と言うからには若い女の子を統率する必要がある。伯父はわからない。末の叔父は相手の出方を観察している上、自分はこの騒ぎに無理に参加する必要はないと考えていた節がある。親切でないのでなく、酒飲みでもないのに、そして末っ子なのに出る幕ではないと判断したのだろう。
地域と言うより家族の一人だ。現在は老人保健施設には言っている母の叔父である。母の叔父なんて私には遠い親戚に過ぎないではないかと言う人もあろうが、母は赤ん坊のときに父が戦死し、中学を出てすぐ母が病死して、きっつぁの兄である叔父夫妻に引き取られていた、と言ってもいい娘である年齢、今風に言えば難しい年齢なので、それはそれは深い溝が入っていたのを、父は哀れんだ。

で、みんながびびる怖い親父にあいつと一刻も早く結婚させてくれ、貯金は一応暮らすぐらいあるし、家はあいつのもとの家がある、早くしないとあいつがいびり殺される、とまあこんな感じかもしれない。

親父とて気持ちはわかるのだが、父は二十三、母は十九〈準備などでそれくらいはかかると逆算〉若すぎる、と反対。こう着状態だったところを祖母がとりなしたのだ。式を挙げたのは昭和三十九年の四月のいつかまでは私は知らない。自分の結婚記念日も四月だから、こちらを覚えている。翌年私が生まれた。

妹も小さいけれどついてきていたので、私は学校に上がっていたと思う。正月の挨拶だ。その一度と法事の一度は母はこの家へしぶしぶ来た。私たちはそこで謎のおじさんを見た。きっつぁのことだが、私たちが近寄るとどこかへ消えてしまうので、真剣にお化けではないかと思ったくらいだ。


ところで子どもである私たちは、やはりこの家が嫌いだった。父が思い切り悪口を言うのと、それでも農業の手伝いで辛い思いをしていたのも父で、雪降ろしを高所恐怖症なのにしなければならなかった。おばさんと言う人が意地悪そうな顔をしていた。お年玉はびっくりするほど多額だ。だけど猫なで声で何かいったって、この人は意地悪な顔をしているから聞いている振りをして、適当にうんうん言った。どうせ小さい子供の言うことなんか、大事なことでもない、大事と言えば、トイレに行きたい、と言うことだけだ。

時は流れて、兄のほうの大叔父がなくなり、いろいろもめて、きっつぁは家に来た。それまで納屋で雨水と半杯のご飯を与えられ生きていたそうである。でもやはり母とそりが合わないし、もう彼は昔風の生き方しかできなかった。

父は最初アパートの一室にきっつぁのへ屋を借りたが、父が肝炎を患い、よくなっても仕事ときっつあの両立でへとへとになった。倒れる前に、と言うことで施設を探してもらい入れた。根尾川の見えるきれいな土地だが辺鄙な土地とも言うそこで、きっつあは習字をしたり、折り紙を折って暮らしている。

私が見舞うと100円お年玉をくれた。父が言うに、100円貰うというのは普通の人から一万円貰うより難しい、運がええぞお前。だと。

たぶんきっつぁは傘寿だと思う。郵便物はわが実家で預かるので本名が「喜一朗」だと言うことも不惑を超えてから私は知った。
どまつりとは、よさこいの一種で、今回で12回目を向かえる。とにかくものすごい熱気と言うか、かぶきぶりで、総踊りではギネスを目指した。(一時にどれだけ多くの人が踊るか?か)どうも達成したらしい。

応援しているあじゅらと言うチームも、去年に引き続いて、特別賞 教育賞をいただいた。

大賞や、準大賞貰うチームは、迫力、花を持っているなと本当に思った。
来るという言葉の尊敬語は「いらっしゃる」、頭ではわかっているが、まず絶対にいえない。いえてもどもる。

なぜなら、まず自分の一番近い地域語では「おんさる」、名古屋にまで広げると「みえる」

だから東京などの秘書の方、「社長おみえですか」「みえますか」姿が見えるかどうかでないです、不在かどうかの確認です。

地元の町工場だと、「しゃちょうおんさる?」「おらん」自分の社長を、おらんって、でも仕方ないもの。


さて。東京の知っている人の家へ行ったのですが、実はお仏壇にお線香を上げさせてくださいと、言いましたし、そうすべきですし、むこうも快諾してくれました。

お仏壇は品位がありました、が、なんかしっくりこない。そう、漆の黒でないからです。このおうちは良家といってなんら差し支えないのです。お仏壇は、マンション仕立てで小さいのだろうと思いました。

でもひょっとすると違うかもしれません。宗派が違うかもしれないのです。知っている人が、浄土宗のお仏壇は浄土真宗のそれより小さいのだとブログに書いておられました。

私の父の実家は、私が見たころ、つまり祖父の代は一部屋の半分くらいの壁をお仏壇が占めていました。農家が代々こつこつためて、えいっと買う、一生物というより何代物のお金です、また修理してこつこつ使います。

で、黒の漆が塗ってあるのが普通。観音開きを開くときらきら!不思議ですがね。美濃の仏壇倒れかも。
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