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地域と言うより家族の一人だ。現在は老人保健施設には言っている母の叔父である。母の叔父なんて私には遠い親戚に過ぎないではないかと言う人もあろうが、母は赤ん坊のときに父が戦死し、中学を出てすぐ母が病死して、きっつぁの兄である叔父夫妻に引き取られていた、と言ってもいい娘である年齢、今風に言えば難しい年齢なので、それはそれは深い溝が入っていたのを、父は哀れんだ。

で、みんながびびる怖い親父にあいつと一刻も早く結婚させてくれ、貯金は一応暮らすぐらいあるし、家はあいつのもとの家がある、早くしないとあいつがいびり殺される、とまあこんな感じかもしれない。

親父とて気持ちはわかるのだが、父は二十三、母は十九〈準備などでそれくらいはかかると逆算〉若すぎる、と反対。こう着状態だったところを祖母がとりなしたのだ。式を挙げたのは昭和三十九年の四月のいつかまでは私は知らない。自分の結婚記念日も四月だから、こちらを覚えている。翌年私が生まれた。

妹も小さいけれどついてきていたので、私は学校に上がっていたと思う。正月の挨拶だ。その一度と法事の一度は母はこの家へしぶしぶ来た。私たちはそこで謎のおじさんを見た。きっつぁのことだが、私たちが近寄るとどこかへ消えてしまうので、真剣にお化けではないかと思ったくらいだ。


ところで子どもである私たちは、やはりこの家が嫌いだった。父が思い切り悪口を言うのと、それでも農業の手伝いで辛い思いをしていたのも父で、雪降ろしを高所恐怖症なのにしなければならなかった。おばさんと言う人が意地悪そうな顔をしていた。お年玉はびっくりするほど多額だ。だけど猫なで声で何かいったって、この人は意地悪な顔をしているから聞いている振りをして、適当にうんうん言った。どうせ小さい子供の言うことなんか、大事なことでもない、大事と言えば、トイレに行きたい、と言うことだけだ。

時は流れて、兄のほうの大叔父がなくなり、いろいろもめて、きっつぁは家に来た。それまで納屋で雨水と半杯のご飯を与えられ生きていたそうである。でもやはり母とそりが合わないし、もう彼は昔風の生き方しかできなかった。

父は最初アパートの一室にきっつぁのへ屋を借りたが、父が肝炎を患い、よくなっても仕事ときっつあの両立でへとへとになった。倒れる前に、と言うことで施設を探してもらい入れた。根尾川の見えるきれいな土地だが辺鄙な土地とも言うそこで、きっつあは習字をしたり、折り紙を折って暮らしている。

私が見舞うと100円お年玉をくれた。父が言うに、100円貰うというのは普通の人から一万円貰うより難しい、運がええぞお前。だと。

たぶんきっつぁは傘寿だと思う。郵便物はわが実家で預かるので本名が「喜一朗」だと言うことも不惑を超えてから私は知った。
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